今年の一冊め『トワイライト』重松清

P1000947年末年始、妻の実家に3冊の本を持っていった。『冷たい銃声』ロバート・B・パーカー、『蝉しぐれ』藤沢周平、そして『トワイライト』重松清。正月を妻の実家でのんびり過ごそうという計画。一昨年、妻の両親は長年住んだ一軒家を手放し、マンションに引っ越した。駅から近いし、バリアフリー。南向きのリビングは明るく暖かい。今話題の耐震性や、セキュリティなど、彼らの本格的な老後に向けて考慮した結果。ちょっと安心。そして、お気楽夫婦にとっては、別荘気分。お正月休みに、のんびり読書という目論見だ。

妻は一人娘。両親も妻も口数は少ない。3人で過ごす時は、誰も何も話さずにボーっとしていても平気らしい。ドライブをする車の中でも同じ。ロングドライブでも、ずっと会話がないまま、というのも気にならないという。ところが、私は沈黙が怖い。まして密室である車の中で、誰も何も話さない時間は苦痛。そこで私はドライブ中に3人に均等に話題を振る。リビングでも、外食をする店でも同様。読書に没頭し、話しかけるのを忘れ、3人が何も話さずにぽかぽかとしたリビングルームで、黙ってTVを観ているのに気が付く。おっとぉ、いけない。慌てて観ているTV番組に関連する話題を提供する。・・・ふぅ。

決して必要以上に気を遣っている訳ではない。ただ“団欒”の規定値が違うだけ。黙っている3人にとっては、私が加わる4人での行動は「それはそれで楽しい」らしい。だからと言って3人でボーっとしているのも楽しくないわけではない、そんな家族。今回の滞在では、敢えて本を読み続けた。気が付けばこれが読書に適している環境なのだ。私が何も言わずに本を読んでいても、誰も突っ込まない。邪魔しない。邪魔にならない。

重松清は、ほぼ同年代の作家。育った年代が近い分だけ、視点や記憶が重なる部分も多い。『トワイライト』は、1970年の大阪万博をキーワードにした物語。“未来”が一直線に“明るい未来”まで伸びていた時代。性善説の時代。現在との対比、コントラストが明確になり、自分たちの“現在”を実感してしまう。しかし、重松の紡ぐストーリーにはいつも救いがある。現実の“痛さ”と共に、ほろ苦いけれど明日に続く“暖かさ”がある。

一気に読んでしまった暖かいリビングで尋ねた。「万博って行きました?」「愛知万博は行かなかったねぇ。混んでるのは苦手だからねぇ」「大阪のときは行ったね。日帰りで2回も行ったよね。そうそう、“月の石”並んで観たよね」・・・話題を提供すれば反応はする。会話も適当に弾む。これも悪くはないか。

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